帰れないということについて悩んでいる暇はなかった。
たくさんの書類にサインして、たくさんの人に会って。
手にできた豆はそろそろたこになり始めるだろう。
つい最近成立した婚約者殿はそう言った。
嫁姑戦争〜八十二歳vs百五十歳〜
「ニコラ!」
「陛下!お久しぶり!」
魔族の花嫁、いやもうじきお母さんになる彼女は相変わらず元気そうだ。
「元気でいらした?」
「うん、もちろん。ニコラも元気そうで何より」
「ニコラ、来てたんだ」
「おかえり、有利」
「ユーリ陛下!お久しぶり!」
有利はいつものトレーニングを終えてきたようだ。
「直轄地を通過する用事があるとかで、閣下が送ってくださったの。でも不思議、ヒューブのことをあんなに怒ってらしたのに、あたしにはとてもお優しいのよ」
そりゃあ、グウェンダル閣下ですもの。
お腹の子が生まれたら、初孫が生まれたおじいちゃん以上に可愛がりそうだ。
「ですから何故、あなたが陛下のお部屋で寝起きしているのですか!?」
「ユーリはぼくに求婚したんだぞ?寝所を共にしたいに決まっている」
求婚。
その言葉にドキリとして、ちらりとコンラッドを見ると微笑まれた。
いや、決して寝所を共にしたいわけでは。
「婚約者はあくまでも婚約者であって、伴侶や夫婦ではありません!婚姻の契りを交わす前に夜を過ごすとは、ななんという破廉恥なっ」
「さすがはもうじき百五十歳、おそろしく前時代的な言い分だな!」
…ヴォルフラムも八十二歳。
十五歳に言わせれば、そんなもの五十歩百歩だ。
外見は若いとはいえ、どちらもご老人的年齢ではないか。
嫁vs姑的な言い争いに加わらないコンラッドが、軽く肩を竦めた。
「雑魚寝くらいで目くじらたてなくても…」
「それ以前に、頼むから誰か気付いてくれよー、おれたち男同士じゃん!?」
「お二人とも何を勘違いされてるのかしら。陛下にはグウェンダル閣下がいらっしゃるのに」
「それこそ最悪の勘違いだっ!」
相変わらずニコラはかき回すのが得意らしい。
しかも悪意も何もないからなあ…。
三方は一斉に否定をしたが、私は呆れるしかなく、コンラッドは必死で笑いを堪えていた。
「?」
ノッカーの鈍い音が数回響くと、コンラッドが重い扉を片側だけ開けた。
正門警備の若い兵が、がちがちに緊張して立っていた。
「申し上げます!」
「どうした」
「そのっ、魔王陛下にあらせられましてはっ、ご公務以外のお時間とは存じますがっ」
「緊張しないで」
「そんなに畏まらなくても、サクサク言ってくれてかまわないのに」
「はっ!恐れ入ります!」
あれ、膝が笑っているようだ。
逆効果だったらしい。
「陛下にお目通りをと願う輩が、先程、城門に参りまして」
「なーんだ」
今度はどんなお偉いさんなんだろう。
「それなら朝飯が済んでから、スケジュール調整してもらうよ」
ギュンターが姑の顔から、有能な王佐へと変わる。
私たちと兵の間に割って入った。
「そのような用件はまずこの私に」
「ですが…その、ごくごくご私的なことですので…できましたら、そのー、お人払いを」
「大丈夫だ。皆、口が堅いよ」
「では申し上げます」
兵は一瞬言葉を切って、唾を飲み込んでから声のトーンを上げた。
「眞魔国国主にして我等魔族の絶対の指導者、第二十七代魔王陛下のご落胤と申す者が…いえ、仰る方が、お見えですっ!」
「「ゴラクイン?」」